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農耕精神の欠点 

「酒の席で宗教と政治の話はするなとよく言われた。公明党の話ではない。
個人の思想信条はアルコールが入ると喧嘩のもとに成り易いということだろう。
しかし、普段の日本人は、それらに関しての節操はなく温和だが、伝統 風習には妙に頑な面がある。」

最初の2行は、お笑いの掴みのようなもので、解す必要のない話なので、捨て置くとして、

日本人は、実にお祭り騒ぎの大好きな民族で、その節操のなさの最たるものが年末年始だ。
クリスマスはサンタから何か貰いケーキを食う。大晦日には除夜の鐘。それが終わると初詣。
キリスト教、仏教、神道と、外人の驚く、はしごがある。
一生を見ても、生まれるとお宮参り七五三が神社、結婚はチャペル、最期は仏式が大半だろう。
その節操のなさ、信仰心のなさが、新しい物を受け入れ人生の豊かさにも通じている。

それなのに、日本古来の自然信仰を妙に気真面目に信仰していて、
科学的に解明されたものも捨てきれないでいる。
そうなのだ、日本人は、天地を崇拝することが遺伝子に組み込まれていて、
権力者が伝説を捏造しようが、
新しく国家を宗教で治めようが、土着の自然崇拝は止められなかった。
だから、権力者は自然崇拝をうまく利用することとなる。
たとえば、太陽は天照大神であり大日如来でもある。
たわわに実った稲穂は狐の尻尾ということで稲荷になったりと、
自然のあらゆるものが拝まれるように変化して八百万神となった。
神道はまさにそれを狙ってのものだが、仏教は伝来の時点で、
釈迦が知ったらびっくりの悲惨なこととなった。
国家権力として利用する為に、釈迦の説いた尊い教えは、
伝来と同時に日本仏教になったのだ。

しかし、結局、歪められたものは真実でなく、都合のいい形式や楽しいものやスタイルだけが残り、
中身のない状態で今も尚続いている。
お祭り騒ぎの好きな民族性が、中身のない状態でも続いていられる原因であろう。
縁日などは、まさにそれで、神社か寺の神仏の祭事日が縁日だが、
出店が出る楽しい日が一番で留まっている。
出店が優先なのが日本人の特徴で、真の信仰は其処には無いのだ。
では、土着の自然崇拝が日本人の信仰の根底に有るかというと無いのである。
科学の進歩で、皆既日食も皆既月食も習った。さすがに、気付いているのだ、知っているのだ。
では、伝統や風習を、頑に続けるのは何故か?
止めようとすると「伝統」「文化」という一撃を喰らって、
歴史的、科学的情報や知識の正当性も効力を失ってしまう。
周囲と違うと生きていけない、みんなで楽しくをモットーとする農村精神は、
権力者に利用されながら染着いたのだろう。


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by tonomophoto | 2009-10-08 23:57

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