連載開始
2015年 05月 27日
月兎舎の凪で、幻影城の連載が始まりました。
写真は、ブログに載せたものですが、文章付きです。
県外の方のために、全文を!
ちなみに、第一回目は、伊賀文化産業城です。
彰往考来
中国や韓国による歴史捏造を批判する声はよく耳にするが、我が国も然りである。
そもそも歴史というものは古今東西、時の権力者や勝者によって、不都合な真実は隠蔽され、
捏造や改竄されるのは至極当然のことで、他国間での相違は当たり前である。
それに異を唱えたところで、権力や欲得利害の技を持って弾圧されるか、総スカンを食らうだけで、
今日でもなお、それが繰り返されている。とは言え歴史という学問は、
良くも悪くも出来うる限りの真実を発掘し、伝えなくてはならない。
子供達にとってのサンタクロースや、プロレスが出来レースか否かと同じでは困るのだ。
本編のテーマは「城」であるが、これ一つとって見ても、間違った情報が
公然と浸透しつつあることをご存知だろうか。
七割の天守が偽物
日本各地に天守閣を持つ城があるが、現存天守十二、復元天守(外観のみも含め)十四の、
計二十六カ所のみが本物の天守である。一方、復興天守(規模や意匠に推定の部分があるか、
規模や意匠を再建時に改変した)と模擬天守(天守のなかった城や、
存在したか不明な城に建てられた)を合わせると六五カ所もある。復元、復興、模擬と、
日本的な微妙な言い回しではあるが、日本にある天守の七割が偽物なのだ。
それらのほとんどは町のシンボルとして観光地化され、土産物店が並び、桜が植えられ、
提灯や街灯でライトアップされ、過剰な説明板やのぼり旗で飾られ、中には豪華な御殿や
名庭などが併設された城もある。
武将が群雄割拠した時代の英雄をまつり上げ、時代考証もハチャメチャな集客スポット
が多いのが今日の城である。
幻影城がめざすもの
城の本来の目的は、攻め来る外敵と戦うための守備施設だ。立地を吟味し、
攻められにくく守り易い創意工夫が施された和風建築の傑作と言える。
最盛期の安土桃山時代には、三千近くを数えたが、次第に淘汰され、
一六一五年の一国一城令により、陣屋を含んでも十分の一に。
それらも明治には廃城となり八割が壊され、第二次大戦中には九カ所の天守が焼失した。
昭和三○〜四○年代に築城ブームが起こり、田中角栄の木造禁止令で鉄筋コンクリートによる復元、復興、 模擬天守が沢山誕生したが、平成になってからは、木造での完全復元が当たり前になっている。
近年、昭和のコンクリ天守は、コンクリートが寿命を迎えつつあり、補強工事中や立ち入り禁止、
もしくは廃墟となった天守も少なくない。今後は、復元可能な建物は木造で再建され、
復興と模擬は消えていくはずで、近い将来、全国に三十カ所ほどの天守しかないという時代が来る。
そう考えると、現在ある復興や模擬天守も、
極めて貴重な存在と言えはしないだろうか。すでに今日までの歴史を刻んでいる以上、
真実の歴史を冒涜した重要な証拠物件である。
贖罪の意味を込めて、偽物は偽物として、最盛期に三千近くあった、今は亡き何れかの城の勇姿に当ては まるのではないか、という思いで撮影を始めた。
本物、偽物の天守を合わせて九一城、櫓や
門のみの城を含めて百二十ほどである。それらを撮影し、本来の守備施設としての姿を再現することで、
日本人の潜在意識の中にある城の原風景を呼び覚まし、歴史の闇に葬り去られた兵達の魂を解放させた いと願うのが「幻影城」の趣旨である。
美しく平和な今日の城を、本来の城に変える手法として、目に見えない赤外線で撮影。
反転強調させて異空間を演出し、色情報を抜き、白飛び、黒潰れ、ボケ、逆光、粒子の荒れなどで、
邪魔なものを目立たなくしている。
昭和初期に建てられた模擬天守
シリーズ第一回に選んだのは、三重で唯一天守のある通称伊賀上野城だ。子供の頃、
父に連れて行ってもらい、私が城に興味を持つきっかけとなった原点である。
この城は、滝川雄利が平楽寺跡に砦を築い
たのが始まりで、小牧長久手の戦いで落城。筒井定次が入城し改修されたが、
筒井家は失策を理由に領地を没収された。その後、徳川家康の命により藤堂高虎が大改修を始める。
当初天守は今治城から移築しようとした
が、それが天下普請で丹波亀山城に移築されたため、独自に五層の天守を建築するも、
途中で大嵐により倒壊。やがて仮想敵の豊臣家が滅亡したので、未完成のまま藤堂家の支城となった。
五層の天守台の半分程を使用した三層の小振りな天守は、昭和初期に建てられた模擬天守で、
正式名称を伊賀文化産業城と言う。模擬天守は、城を再建したいというより、
シンボリックな天守を建てたいという意図が鮮明ゆえにコンクリート造が多いが、
この城は、木造瓦葺き、白漆喰塗で、唐破風、千鳥
破風と、造りも意匠も極めて豪華だ。さらには、本物の天守台に建っているので、実在天守と誤解されがち。
ある意味、立派なまがい物だ。かく言う私
もまんまと騙されて、城好きになった。近年は、根拠の無い天守を史蹟である城跡に建設することは許可さ れないので、もしもの際は再建出来ない貴重な城の一つである。
残念なのは五層でないことと、藤堂高虎の
建てた今治城、丹波亀山城、津城の古写真を見る限り、飾り破風が無いので、おそらくこの城も、
本来は意匠より機能重視の、質実剛健な造りではなかったかという点である。
☆彡
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写真は、ブログに載せたものですが、文章付きです。
県外の方のために、全文を!
ちなみに、第一回目は、伊賀文化産業城です。
彰往考来
中国や韓国による歴史捏造を批判する声はよく耳にするが、我が国も然りである。
そもそも歴史というものは古今東西、時の権力者や勝者によって、不都合な真実は隠蔽され、
捏造や改竄されるのは至極当然のことで、他国間での相違は当たり前である。
それに異を唱えたところで、権力や欲得利害の技を持って弾圧されるか、総スカンを食らうだけで、
今日でもなお、それが繰り返されている。とは言え歴史という学問は、
良くも悪くも出来うる限りの真実を発掘し、伝えなくてはならない。
子供達にとってのサンタクロースや、プロレスが出来レースか否かと同じでは困るのだ。
本編のテーマは「城」であるが、これ一つとって見ても、間違った情報が
公然と浸透しつつあることをご存知だろうか。
七割の天守が偽物
日本各地に天守閣を持つ城があるが、現存天守十二、復元天守(外観のみも含め)十四の、
計二十六カ所のみが本物の天守である。一方、復興天守(規模や意匠に推定の部分があるか、
規模や意匠を再建時に改変した)と模擬天守(天守のなかった城や、
存在したか不明な城に建てられた)を合わせると六五カ所もある。復元、復興、模擬と、
日本的な微妙な言い回しではあるが、日本にある天守の七割が偽物なのだ。
それらのほとんどは町のシンボルとして観光地化され、土産物店が並び、桜が植えられ、
提灯や街灯でライトアップされ、過剰な説明板やのぼり旗で飾られ、中には豪華な御殿や
名庭などが併設された城もある。
武将が群雄割拠した時代の英雄をまつり上げ、時代考証もハチャメチャな集客スポット
が多いのが今日の城である。
幻影城がめざすもの
城の本来の目的は、攻め来る外敵と戦うための守備施設だ。立地を吟味し、
攻められにくく守り易い創意工夫が施された和風建築の傑作と言える。
最盛期の安土桃山時代には、三千近くを数えたが、次第に淘汰され、
一六一五年の一国一城令により、陣屋を含んでも十分の一に。
それらも明治には廃城となり八割が壊され、第二次大戦中には九カ所の天守が焼失した。
昭和三○〜四○年代に築城ブームが起こり、田中角栄の木造禁止令で鉄筋コンクリートによる復元、復興、 模擬天守が沢山誕生したが、平成になってからは、木造での完全復元が当たり前になっている。
近年、昭和のコンクリ天守は、コンクリートが寿命を迎えつつあり、補強工事中や立ち入り禁止、
もしくは廃墟となった天守も少なくない。今後は、復元可能な建物は木造で再建され、
復興と模擬は消えていくはずで、近い将来、全国に三十カ所ほどの天守しかないという時代が来る。
そう考えると、現在ある復興や模擬天守も、
極めて貴重な存在と言えはしないだろうか。すでに今日までの歴史を刻んでいる以上、
真実の歴史を冒涜した重要な証拠物件である。
贖罪の意味を込めて、偽物は偽物として、最盛期に三千近くあった、今は亡き何れかの城の勇姿に当ては まるのではないか、という思いで撮影を始めた。
本物、偽物の天守を合わせて九一城、櫓や
門のみの城を含めて百二十ほどである。それらを撮影し、本来の守備施設としての姿を再現することで、
日本人の潜在意識の中にある城の原風景を呼び覚まし、歴史の闇に葬り去られた兵達の魂を解放させた いと願うのが「幻影城」の趣旨である。
美しく平和な今日の城を、本来の城に変える手法として、目に見えない赤外線で撮影。
反転強調させて異空間を演出し、色情報を抜き、白飛び、黒潰れ、ボケ、逆光、粒子の荒れなどで、
邪魔なものを目立たなくしている。
昭和初期に建てられた模擬天守
シリーズ第一回に選んだのは、三重で唯一天守のある通称伊賀上野城だ。子供の頃、
父に連れて行ってもらい、私が城に興味を持つきっかけとなった原点である。
この城は、滝川雄利が平楽寺跡に砦を築い
たのが始まりで、小牧長久手の戦いで落城。筒井定次が入城し改修されたが、
筒井家は失策を理由に領地を没収された。その後、徳川家康の命により藤堂高虎が大改修を始める。
当初天守は今治城から移築しようとした
が、それが天下普請で丹波亀山城に移築されたため、独自に五層の天守を建築するも、
途中で大嵐により倒壊。やがて仮想敵の豊臣家が滅亡したので、未完成のまま藤堂家の支城となった。
五層の天守台の半分程を使用した三層の小振りな天守は、昭和初期に建てられた模擬天守で、
正式名称を伊賀文化産業城と言う。模擬天守は、城を再建したいというより、
シンボリックな天守を建てたいという意図が鮮明ゆえにコンクリート造が多いが、
この城は、木造瓦葺き、白漆喰塗で、唐破風、千鳥
破風と、造りも意匠も極めて豪華だ。さらには、本物の天守台に建っているので、実在天守と誤解されがち。
ある意味、立派なまがい物だ。かく言う私
もまんまと騙されて、城好きになった。近年は、根拠の無い天守を史蹟である城跡に建設することは許可さ れないので、もしもの際は再建出来ない貴重な城の一つである。
残念なのは五層でないことと、藤堂高虎の
建てた今治城、丹波亀山城、津城の古写真を見る限り、飾り破風が無いので、おそらくこの城も、
本来は意匠より機能重視の、質実剛健な造りではなかったかという点である。
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by tonomophoto
| 2015-05-27 23:16
| 幻影城