建築と人
2009年 01月 26日
論じます。
人が利用する建物なのに、人の写った写真がない。生活が見えない。そんな批判を聞く。
プライバシーの問題もあるが、撮影は竣工時が多く、家具もなければ利用者が居るはずがない。そこは、モデルを使ったヤラセも不自然な空間だ。
住宅でいうと、新築ほやほやで、家具の揃った状態が一番望ましいと思うが、家具やインテリアも生活感を自ずと放ち、ある方向に誘導していく。
そこに、お施主さんが、最高の笑顔で入ったものなら、最も幸せな空間なのだが建築物は背景でしかなく人物写真になる。そうなると、もう建築写真ではない!
建築と人は、一枚の写真に入ると主役と脇役に分かれる。必ずそうなる。
そうならない写真は、お互いが脇役の表現不足の写真ということだ。
人が小さく表情がわからないぐらいでないかぎり、建築は人に負ける。人には勝てない。
建築写真は竣工時に人の居ない空間をとるべきだ!
人間は想像できる生き物なのだから、その写真を見た人が、個々に想像すべきもので、撮影意図にもよるが、建築写真には、いらん誘導をすべきでない。
人が利用する建物なのに、人の写った写真がない。生活が見えない。そんな批判を聞く。
プライバシーの問題もあるが、撮影は竣工時が多く、家具もなければ利用者が居るはずがない。そこは、モデルを使ったヤラセも不自然な空間だ。
住宅でいうと、新築ほやほやで、家具の揃った状態が一番望ましいと思うが、家具やインテリアも生活感を自ずと放ち、ある方向に誘導していく。
そこに、お施主さんが、最高の笑顔で入ったものなら、最も幸せな空間なのだが建築物は背景でしかなく人物写真になる。そうなると、もう建築写真ではない!
建築と人は、一枚の写真に入ると主役と脇役に分かれる。必ずそうなる。
そうならない写真は、お互いが脇役の表現不足の写真ということだ。
人が小さく表情がわからないぐらいでないかぎり、建築は人に負ける。人には勝てない。
建築写真は竣工時に人の居ない空間をとるべきだ!
人間は想像できる生き物なのだから、その写真を見た人が、個々に想像すべきもので、撮影意図にもよるが、建築写真には、いらん誘導をすべきでない。
by tonomophoto
| 2009-01-26 23:18